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ポートレイト portrait  − No.1 - No.2 - No.3 −       
     


何年も前から1枚の絵を描き続けることについて

 もう10年以上も前のことだが 「スマートスケッチ」 というアプリケーションがあった。描画のためにペンタブレットを買うと、それが一緒に付いてきた。これはドローソフトウエアというもので、部分や全体を拡大しても輪郭線が荒くなったリ、ぼやけたりしないという特徴がある。ペン先のタッチは単純で固く素っ気ないものだ。しかし、なめらかな線を引くことができて、しかもペン先の筆圧によって自由に太さを変化させることができる。これで殴り書きをしているうちは大いに気持ちよく描くことができる。
 それが、少し部分を修正したくなるとなかなか思うようにはいかない。変につっぱったような直線と小さな丸が現れてペン先にこびりつき、なめらかだった描線が引っ張られて角張ってしまう。こうなるともうペン先を自由に動かすことはできない。輪郭線をなだめるように少しずつ引っ張り出したり押し込んで幅を細めたりするしかない。こんなことが2色の境目で起こると変な直線は3本にふえてますます扱いにくくなる。このために、このソフトを描画に使うには根気強さと十分な時間が必要である。だから、こまかく修正しようなどという気をおこさず、さらさらと描き流す技を身につければいいようにも思うが、努めてそんなふうに描いた画面は変化に乏しくまことに味気ない風情だ。もちろんこれには付け焼き刃の筆の未熟さのせいも大いにある。また、このソフトに毛筆で描くような濃淡やかすれ、にじみなどの効果を期待することはできない。鉛筆やクレパスのような表現とも無縁だ。


アニメーションで

シジル - スライドショー
 それでも、このソフトをときどき思い出したように10何年も使いつづけてきた。しばらく放っておいた画像を久しぶりに呼び出したときなど、部分的に気に入らないところがどこか目についてそこを消してやり直すことがよくある。その部分に違和感を感じてそのままにしておけなくなるのだ。それはペンを手にするだけですぐにできる。描くために部屋の明かりを調節したり、いろいろな画材を用意する必要はない。それでつい始めてしまうと知らないうちに時間が過ぎてしまう。夜遅くにようやく画面に満足してファイルを保存する。そんなふうにしてつぎにたまたまファイルを開いてふたたび描き直したくなるのは1週間後であったり、1ヶ月後であったり、1年後であったりする。どうやらその期間が長いほど違和感が強く、手直しをしたくなるようだ。
 手直しをしたくなるのはそんな場合だけではない。たとえば、いちど部屋から出て、すぐ用を済ませてから部屋の入り口に立ったときモニターの画像を見て「おや」と思う。モニターから数歩離れただけでこうなることもある。また、このソフトのツールには「水平に反転」というのがあり、それで全体を反転させるとたいていは思いがけない異様な表情を画面に見ることになる。そこで何とかしなければといそいそと取りかかる。ときには修正すべきところを確かめるためにわざわざ反転させることもある。
 どうしてこうしたことが起こるのだろうか。私は描いているとき、画面を端から端までよく見て修正すべきところや異様に見えるところに手を入れていくのだが、普通ではまったく気がつかない部分が残っているのだ。それも、見過ごしてもいいようなところではなく、気がついてみればみな重要な部分だった。細部や全体に何度も手を入れて「これで何とかよくなった」と思ったとき、私の眼は何を見ているのだろうか。
 10数年も同じ1枚の絵をあれこれ手を入れながら描き続けるというのは、あまり普通のことではないのかもしれない。私はときどき思い出したようにこの絵の画面を開く。そのときたぶん、私は描くことにあまり真剣ではないのだ。それで、ただ画面を眺めているだけでは気がつかない部分がどうしても残るのかもしれない。


 


アニメーションで
 部分を修正するのではなく、切り取ることはできる。消してやり直せばいいのだ。他から離れて独立した形は、その部分を選んで消す。他に接していても色のちがうところは同じように選んで消すことができる。そこは背景と同じ空白になる。