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 縄文カタログ 2 Kindle本 ¥99 サイズ: 43679 KB
 

 アプロード
 version 1.0  2016-1-10


 内容紹介に代えて - 「第2巻のあとがき」

 取り上げる器は50点以内を考えていたが、終えてみると54点になってしまった。今後、書籍の扱いやすさなどからそのいくつかを削除する必要が生じるかもしれない。今回は続縄文時代の土器は加えることができなかった。その時代の土器は取り上げるべき数も多いので、いまは第3巻についても考えている。
 「さくいん」を作ってから「おやおや」と思ったのは、含まれる土器の殆どが東北地方のものだったことだ。これは第2巻の内容が縄文時代後期と晩期だったからだろうか。もちろん、私の土器スケッチ全体の割合が東日本に偏っていることもある。
 このあとがきでは、一つは西日本の縄文式土器のこと、もう一つは私自身の縄文式土器の見方について書いてみたい。

 私の土器スケッチに西日本のものが少ないのは私自身がその方面にあまり出かけていないからだ。また、出かけたとしてもその地域の博物館に私が目指す土器があまり見つけられないことが多かった。5-19 Sketch - No.211の図。比較的大きなまま出土したこの土器破片の場合は、幸いにも口辺の様子やその上の突起が見られた。いろいろ想像させる文様の一部もあった。展示室の担当者が机の上に出してくれて、私はそれを手にとってつぶさに見ることもできた。たいていは出土した破片のままでガラスケースの中に「こんなのもあるにはある」とでもいうようにして入れられている。それは展示されているというより、そこに保存されているにすぎないと思われた。そうした土器では私には取り上げにくい状態であることがたびたびある。
 このことについて私はこれまでもいろいろ考えてきた。西日本に縄文遺跡が少ないのではなく、出土する縄文式土器が少ないのでもないと私は思っている。
 縄文時代の遺跡が見つかったという中国地方の山間部の町に行ったことがある。町の中を流れる川の畔に新しく大きな公共建物が建つことになった。工事にとりかかったら地下から縄文集落の遺跡が出た。それはその地域に広がった大規模な集落遺跡だった。出土品の一部は地域の歴史的保存民家の敷地内に展示されていた。その後一度、発掘の様子をその町に問い合わせてみたが新しく発掘したり特に展示室が作られたりすることはないようだった。また、倉敷の展示館では思いがけないたくさんの縄文時代の土器を見た。部屋に所狭しと置かれたたくさんのガラスケースには縄文式土器らしいものがいっぱい詰め込まれていた。どうやら、その時の展示品はあまりよく整理されているものではなかった。それらの展示物には出土地や出土時期について表示されていないものが多かった。そのことはずいぶんいい加減なあつかいに思えた。いつも私はそれらのデータを知ることでその器を作った人々やその時できあがった器の様子、彼らの生活の様子、その地の山野について想像しようとする。彼らの生き方や感じ方に想いを馳せる。ここでは縄文式土器は「おもしろい形をした珍しいものをこんなに集めました」といって展示されているように思われた。私は妙な気分でその場所を去るしかなかった。
 一般に近畿地方以西の地域では縄文時代よりも弥生時代の方に関心が高いようだ。たぶん、各地域の文化担当者や博物館を運営する人たちが重点を置くのは弥生時代の方になるのだろう。この二つの時代の遺跡発掘の状況から、これは当然の結果かもしれない。また、時代の前後関係からは、縄文時代の遺跡の上に弥生時代の人々が生活することがたびたびあったことも確かだと思う。この地方で出土する縄文式土器が細かく割れた破片であることも多分にそのせいだろう。考古学に携わる研究者はこのことにも考慮して研究しているにちがいない。
 各地域の文化担当者や博物館を運営する人たちはこのことをどのくらい配慮して正しい姿を示そうとしているだろうか。
 縄文式土器について、ただ「珍奇なおもしろい形をしたもの」のように展示するのはよくないと思う。遠い過去の人々があんなにも熱心に心を込めて製作したらしいものだから。同じ理由で、まるで高価な美術品のように扱ったり、個人や研究室で独占するようなこともどうかと思う。これらの行為は「珍奇な」の扱いとどれほどの違いもない。これらの器はこの列島の殆ど全ての地域で遠い過去の人々が残したもの、今この列島に住み、生きる人々の誰もが何かのかたちで確実に受け継いでいるものなのだから。